東京地方裁判所 昭和26年(モ)6125号 判決
申立訴訟代理人は「東京地方裁判所昭和二十六年(ヨ)第四、〇〇〇号採掘禁止仮処分申請事件につき、同裁判所が昭和二十六年十月十日なした仮処分決定は申立人において保証を立てることを条件としてこれを取消す。申立費用は被申立人の負担とする」旨の判決並に仮執行の宣言を求め、その理由として、「申立人は被申立人の申請に依り昭和二十六年十月十日請求の趣旨掲記の仮処分申請事件につき、『債務者(申立人)は債権者(被申立人)の鉱業権に属する福島県採掘権登録第弍五壱号石炭鉱区の中通称補助坑区域(六千九百七十坪)から石炭を採掘してはならない。右趣旨を公示するため債権者の委任した福島地方裁判所執行吏は必要な処置をしなければならない』との仮処分決定を受けた。
然しながら右仮処分申請事件には、以下に述べるような特別の事情が存在する。即ち、
(一) 申立人は昭和十一年以来引続き本件鉱区において数百名の労働者を雇つて石炭の採掘に従事してきた者であり、今その採掘を禁止されるときは右鉱区の石炭を採掘する者がなくなる訳であつて、石炭饑饉の折柄その生産の要請される現状に鑑みるときは、本件仮処分を取消し申立人として採掘を継続せしめるのが公益に合致する所以である。
(二) 申立人が本件鉱区の採掘を中止し、保坑排水作業を一日でも止めると、鉱区は水浸しとなつて、その価値の大半を喪失するのみならず、数百名の労働者及びその家族は職を失い、生活を脅やかされることとなり、申立人側の蒙る損害は測り知れないものがある。
(三) これに反し、被申立人は本件鉱区の鉱業権者ではあるが、従来その経営に従事せず、一名の労働者も雇傭せず、斥先掘契約による斥先料を取得していたに過ぎないから、本件仮処分の取消により、被申立人の蒙ることあるべき損害は、申立人の損害に比し遙かに軽微であり、且つ金銭を以て補償できるものであること明かである。
よつて保証を立てることを条件として右仮処分の取消を求める。」と述べた。<立証省略>
被申立訴訟代理人は、「主文第一項と同趣旨の判決を求め、答弁として、「申立人の主張事実中、申立人主張の仮処分申請事件においてその主張のような仮処分決定があつたこと、現在我国が申立人主張のような石炭饑饉の状況にあること、及び被申立人が労働者を雇つていないことはこれを認めるが、申立人が労働者を雇つているかどうかは知らない。その他申立人が特別事情として陳述している事実は、すべて否認する。」と述べた。<立証省略>
三、理 由
当裁判所が被申立人の申立により、申立人被申立人間の昭和二十六年(ヨ)第四、〇〇〇号採掘禁止仮処分申請事件につき、昭和二十六年十月十日申立人主張のような仮処分決定をしたことは、当事者間に争いがない。
よつて、申立人主張のように右仮処分を取消すべき特別事情があるかどうかについて判断する。
(一) 先づ我国現下の石炭情勢が極めて悪く所謂饑饉状態にあることは当事者間に争いなく、石炭は凡ゆる産業の基礎をなすものであるから、その増産は最も緊要な事柄であることは言うまでもないところであるが、だからといつて、このことは、何等正当の権利を有しない者が他人の鉱業権に属する鉱区において石炭を採掘することを正当化するものでないことは明かであり、従つて現に石炭の採掘をしているものが法律上正当の権原によつていないことにつき十分な疏明があれば、鉱業権者を保護するため、無権利者と認められる者に対し石炭の採掘を禁止する旨の仮処分をなすことあるは当然でありこのため一時当該鉱区の石炭採掘に支障を来すことも已むをえない場合があるものといわねばならない。故に単純に石炭の増産を阻む結果をもたらす仮処分決定だからとの一事を以て直ちにこれを取消すべき特別の事情があるとは言えないのであつて、具体的事案に即して考察することが肝要である。
これを本件について見るのに、申立人が被申立人の前主たる王城炭鉱株式会社との間の斥先掘契約にもとずき昭和十一年頃から現在まで引続いて本件鉱区の石炭採掘に従事し、相当の資金を投じ、設備を施し、百数十名の従業員を雇つてその経営の衝に当つて来たものであることは、甲第一号証の一、二、同第三号証の一乃至三、同第四乃至第九号証、同第十一乃至第二十一号証、第三十号証の一乃至三、及び証人鈴木明、同中島観治郎の各証言等により一応これを認めることができるけれども、所謂斥先掘権は法律上認められないものであり、右権利以外に申立人が如何なる権原にもとずき本件鉱区より石炭を採掘するのかの点については十分な疏明がないのみならず、鉱業権者でない者が鉱区の採掘に従事することができるためには、鉱業法により租鉱権の設定を受けた者でなければならないことは、同法の規定により明かなところ、申立人が本件鉱区の鉱業権者でないことはその自認するところであり、且つ租鉱権者として、登録を経た者でもないことは成立に争いのない乙第一号証の二により疏明されるから、申立人は格段の事情のない限り、適法に本件鉱区より石炭を採掘する権原を有しないものと認められるのである。
思うに鉱物の採掘事業は公共の福祉に関するところ大であるから法律は特に鉱物を採掘する権利の設定変更につき認可、登録の制度を布き鉱業権者租鉱権者を明白ならしめこれらの者に対し鉱山の保安につき厳重な義務を課しているのである。従つて法律により採掘の権利を認められないものが鉱物の採掘事業に従事することは単に私人間の財産的紛争の対象となるだけでなく、鉱物資源の合理的開発を図るべき公共的な目的に反するので厳格にこれを取締らなければならない。このことは現に採掘をなしているものが事実上当該鉱山を安全に経営しているか否かにより左右されない事柄である。本件申立人は本件鉱区を永年にわたり採掘し石炭を取得していたのであるから鉱業権者たる被申立人との合意により円満に新鉱業法に規定せられた租鉱権の設定を見ることが望ましいことではあつたろうが、遂にこのことができなかつた以上申立人が本件鉱区より石炭を採掘する行為は一応鉱業法に反するものと認められる。しかのみならず、我国の石炭事情が逼迫しているとはいえ申立人の本件鉱区に対する採掘を禁止することにより具体的に如何なる石炭供給に関する公共の支障が生ずるかについて疏明はない。従つて本件においては申立人主張の我国の石炭事情は特別事情に該当しないものと言わねばならない。
(二) 次に申立人は、本件鉱区の採掘を中止し、その坑抗排水作業を怠ると、鉱区は水浸しとなつて、著しくその価値を減ずる旨主張しているのでこの点につき判断するのに、甲第三十八号証及び前記証人鈴木明の証言によれば、暫くの間でも保坑排水作業を中止すると、坑内は水浸しとなり著しく鉱区の価値を減少するものであることが疏明せられるが、本件仮処分決定は石炭の採掘を禁止したものであつて、鉱区の維持保存に必要な行為を申立人がすることまでも禁止したものでないことは、右決定主文により明かであるから、申立人が右鉱区の保存に必要な保坑排水作業をなすことは可能であるし、若しこれを欲しないときは鉱業権者たる被申立人にその旨通知し、被申立人をして右作業をなさしむべきであつて、このことは不可能ではないと認められる。従つて本件仮処分により鉱区の保存行為をなし得なくなるとの申立人の主張は採用しない。
更に本件仮処分決定により多数の労働者が或は一時職を失うことになる憂があるのはこれを認めなければならず、この点は右労働者等に対して誠に気の毒であり、本件当事者が速やかにその争いを解決して右労働者等の生活上の不安を一掃する処置に出ることが、切に要望されるが、申立人をして本件鉱区の採掘継続を認むべからざること前段説示の通りである以上、本件仮処分により生ずる労働者等の職業上の不安定はおよそ本件の如く多数の従業員を擁している事業差止の仮処分には通常伴う事情であると考えられ、未だ以て本件仮処分決定は取消すに足る特別の事情と認めることはできない。
(三) 最後に申立人は被申立人が本件仮処分取消に因り蒙ることあるべき損害は金銭補償が可能であると主張するので、この点について判断する。
先づ成立に争いのない甲第四十四号証によれば、被申立人は本件仮処分申請事件の本案訴訟として、申立人の本件鉱区不法採掘により被申立人が昭和二十六年六月十九日から同年十一月十一日に至るまでの間に蒙つたとする損害金九百八十七万円の支払請求をしていることが認められ、右事実によれば被申立人が本件仮処分取消に因り蒙ることあるべき損害は財産的損害であり、その金銭による補償が可能であるように見えないこともないが、被申立人が右仮処分取消に因り今後蒙ることあるべき財産的損害は、その算定頗る困難と言わざるを得ない。けだし、証人中島観治郎の証言及び申立本人矢郷倉蔵訊問の結果によれば、本件鉱区の石炭の埋蔵量は未だ相当あるが如きも簡単に予測することは殆ど不可能に近いことが認められるので、本件仮処分の請求権は抽象的には金銭補償が可能であるといいうるであろうけれども、被申立人において損害額を立証することは著しく困難であり、従つて将来損害賠償の完全な実効をおさめることも亦極めて困難といわざるをえない。しかのみならず、被申立人が本件仮処分の取消に因り蒙ることあるべき損害を、前記のように財産的損害のみに限定することは早計である。けだし、被申立人は本件鉱区の鉱業権の登録名義者として、鉱区の経営管理等に関し、鉱業法規上の諸種の義務を負うものであること明かであるが、本件仮処分の取消により申立人をしてその採掘を継続せしめるときは、右義務の履行を十分に果し得ないこととなる結果、国家権力による制裁を受けるようなことになるかも保し難いことが予想せられるのであつて、かような結果に立至つた場合に被申立人が蒙ることあるべき損害が、金銭補償により満足せらるべき性質のものでないことは言うまでもないところだからである。この点に関する申立人の主張も理由がない。
以上により明かなように、申立人主張の何れの理由によつても、本件仮処分を取消すべき特別事情があるとはいい難い。
よつて申立人の本件申立を失当として却下することとし、申立費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して、主文の通り判決する。
(裁判官 谷口茂栄 安岡満彦 村上悦雄)